Prince Poker & Explorer Life

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エモいはつくるもの

こんにちは!

Prince です。

 

エモい、がなにかご存知でしょうか?

 

エモい

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
 
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エモいは、英語の「emotional」を由来とした、「感情が動かされた状態」[1]、「感情が高まって強く訴えかける心の動き」[2]などを意味する日本語形容詞。感情が揺さぶられたときや、気持ちをストレートに表現できないとき[1]、「哀愁を帯びた様」[3]などに用いられる。

 

古き日本の「あはれ」と似たような意味だと言われてますね。

 

 

先日、たまたま大学時代に出場した某ビジネスコンテストのオープニングムービーを発見しまして、それはそれはエモい気持ちになりました。

 

あとはカスタムロボとか、BaseBallBear

なんかが、ぼくにとってはエモみの極み、というかそんな感じです。

 

あとは冬の京都とか。

 

 

で、そういうエモいなにか、っていうのは

見たり、聞いたりしたときに当時のシーンが映像として蘇ってきます。

 

その映像の質感はフルカラーというよりはどちらかというとモノクロで、

かといって白黒のはっきりした世界でもない、そんな感じ。

胸の奥からこみあげてくる何かを感じる、そんな感じ。

 

 

で、エモいシーンとというのは過去でもありながら現代でもあるのです。

今、このブログを書いている瞬間、寝たいけれど眠れずにSNSを見ているとき、

明日の仕事に思いを馳せるとき、数年ぶりの友人と酒を飲むとき。

 

その「今」、の積み重ねが何年かあとの「エモい」シーンを作っている。

 

「エモい」シーンを作るには、『感情』が必要だ。

 

そしてそれは本物でなければならない。

 

 

本物の感情を持って物事に直面した時、それが「エモい」シーンをつくるのだ。

 

 

 

 

僕は、死ぬときになにを思い返すのだろう、とたまに思うのだけれど。

どれだけエモいものを死ぬ前の自分に残せるのか、それが人生みたいなもんだよな、

と最近思う。

 

エモい、とは過去ではなく現在であり、未来なのだ。

今生きている自分は何年後かの自分にとって、エモいシーンになっているだろうか?

 

3年たってエモくない情景は、たぶん忘れ去られる情景だ。

 

「エモい」かどうかなんて、

自分でしか判断できないけれど。

 

死ぬ前の自分の気持ちは自分だけのものだ。

 

その瞬間のための生きている。

 

 

 

死ぬ前に粗品から「しょーもない人生!!!!」とツッこまれないように生きていたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

ciao!!!