こんにちは!
Prince です。
エモい、がなにかご存知でしょうか?
エモい
エモいは、英語の「emotional」を由来とした、「感情が動かされた状態」[1]、「感情が高まって強く訴えかける心の動き」[2]などを意味する日本語の形容詞。感情が揺さぶられたときや、気持ちをストレートに表現できないとき[1]、「哀愁を帯びた様」[3]などに用いられる。
古き日本の「あはれ」と似たような意味だと言われてますね。
先日、たまたま大学時代に出場した某ビジネスコンテストのオープニングムービーを発見しまして、それはそれはエモい気持ちになりました。
あとはカスタムロボとか、BaseBallBear
なんかが、ぼくにとってはエモみの極み、というかそんな感じです。
あとは冬の京都とか。
で、そういうエモいなにか、っていうのは
見たり、聞いたりしたときに当時のシーンが映像として蘇ってきます。
その映像の質感はフルカラーというよりはどちらかというとモノクロで、
かといって白黒のはっきりした世界でもない、そんな感じ。
胸の奥からこみあげてくる何かを感じる、そんな感じ。
で、エモいシーンとというのは過去でもありながら現代でもあるのです。
今、このブログを書いている瞬間、寝たいけれど眠れずにSNSを見ているとき、
明日の仕事に思いを馳せるとき、数年ぶりの友人と酒を飲むとき。
その「今」、の積み重ねが何年かあとの「エモい」シーンを作っている。
「エモい」シーンを作るには、『感情』が必要だ。
そしてそれは本物でなければならない。
本物の感情を持って物事に直面した時、それが「エモい」シーンをつくるのだ。
僕は、死ぬときになにを思い返すのだろう、とたまに思うのだけれど。
どれだけエモいものを死ぬ前の自分に残せるのか、それが人生みたいなもんだよな、
と最近思う。
エモい、とは過去ではなく現在であり、未来なのだ。
今生きている自分は何年後かの自分にとって、エモいシーンになっているだろうか?
3年たってエモくない情景は、たぶん忘れ去られる情景だ。
「エモい」かどうかなんて、
自分でしか判断できないけれど。
死ぬ前の自分の気持ちは自分だけのものだ。
その瞬間のための生きている。
死ぬ前に粗品から「しょーもない人生!!!!」とツッこまれないように生きていたい。
ciao!!!