こんにちは!
Princeです。
いつ自分を見限るのか、というのは
多くの人が知らず知らずのうちに直面し、解決せぬまま
スルーしている問題であり話題だと思う。
例えば、小学校の将来の夢には「プロ野球選手」と書いている同級生が
クラスに3人は居たし、社長になる、というやつもいたし(僕もそうだった)、
歌手になる、という子もいた。
それが段々と、斜に構えた子供はサラリーマン、と言い出したり、
まぁ空気読んでそれなりにでかいこと書いとくか、という気分で
そのまま将来の夢を書くやつが増える。
高校になると、なぜか将来の夢、という話題がなくなり
志望校は?という、質問に変わる。
そうすると、
「家が近い」、とか「都会に行きたい」、とか「就職率が良いから」、「なんとなく」
という様々な理由で進路が決まっていく。
(もちろん中には、トリマーやパティシエになりたい、という昔からの夢をかなえるために専門学校に行く人もいる。全体から見れば少数だが。)
さて、そんな様々な理由で進学した大学生たちは授業を受け、遊びまわり、
次第に会社選びを始める。
そこで様々な志望動機を、
壮大に、感動的に、誇張して語り、様々な企業へ入社していく。
入社して数年、何人かは辞め、多くはなんとなく日々を過ごし、結婚し、子供ができ、
それなりに昇進し、退職し、それなりに余暇を過ごす。
一方で。
初志貫徹している人もいる。
わかりやすく言えば、イチローであり、本田圭佑であり、錦織圭である。
彼らは、特別な才能もあったのかもしれないが、
共通してこれまで自分を見限ったことはないはずだ。
かつ、まちがいなく真摯に日々に取り組んでいる。
僕は自分を見限りたくはない、と思いながらも惰性の日々を過ごし、
それなりに勉強して普通の会社に入ってから、一度自分を見限ってしまった。
まぁそこそこの人生でもいいか、と。
ただそうなった時、この先そこそこのことしか訪れない人生は怖かったのだ。
今後、自分の人生が脚光を浴びることなく
それこそ通行人Aで終わるような、平凡で、死ぬ前に大して思い残すこともない、
そんな数十年を生きると思うと、怖くなった。
なので、自分を見限るのをやめた。
(プロ野球選手には大人になってからなれないが、ポーカーならできるんじゃないか
という甘い期待もあったけれど)
あなたは果たしてどこで自分を見限ったのだろうか。
自分で見限る人生を生きる、と覚悟するのは想像以上に辛い。
『人が自殺するとき自分に対する期待感がなくなった時だ』、と聞いたことがある。
そうだな、となんとなく分かった。
じゃあなぜ多くの人が自殺しないのか、というと気づかないふりをしているからだ。
自分はまだ、何者かになれる、とどこかで思っている。
自分を見限ってもないが、なんの覚悟もしていないのだ。
過去数十年、何者にもなれていないのであれば、
そのままで何者かになれることなどありえないのに、である。
人は、中途半端に生きるべきではない。
もっと覚悟して生きるべきだ。
それが、
自分にもっとを求めるのか、見限るのかは別として。
もっとも悲惨なのは、
なにも気づかず、気づけばなにもできずに終わるのだな、と死ぬときに悟る
ことではないだろうか。
僕はもっと自分に期待感を持って生きたい、と思っている。
見限った人生を生きる覚悟なんてない。
大変なことは多いかもしれないが、自分はもっとできる、と思って生きたほうが
愉しいからだ。
いかに覚悟するか、というのが大切で、
自分の人生を生きる、というのはそういうことだと思う。
明日は蒲郡でヨット乗ってきます。
ciao!!!